アメリカにとってJuly Fourthつまり独立記念日は一年で最も大切な日のひとつ。私たちサマースクール組も、July Fourthの空気を感じるべくボストンの街に繰り出してきました。

日中は、1826年8月に竣工したクインシーマーケット(Quincy market)、ファニエル・ホール・マーケットプレイス(Faneuil Hall Marketplace)及びその周辺に行ってきました。明るく綺麗で活気のあるマーケットもさることながら、港町好きの私としては所々横浜みなとみらいを彷彿とさせるウォーターフロントが大変気に入りました。

そして夜は、場所を移してMITのすぐ近くのチャールズ川沿いから、盛大に打ち上がる花火を楽しみました。日本の花火大会の花火や、フランス革命記念日Quatorze Juilletのパリの花火と比べると、芸術性や緻密さでは遠く及びませんが(笑)、アメリカらしく(?)とにかくドカドカ打ち上げる大胆さと迫力は圧巻で見応えがありました。

せっかくアメリカにいるので、こうしたアメリカらしい行事に積極的に参加しつつ、アメリカという国についても興味を持って接してみたいと思います。というわけで、アメリカ独立記念日はそもそもどんな日なのか、勉強するのに良いウェブサイトを見つけました。

アメリカンセンターJAPAN「米国の歴史の概要

上記リンクの、第3章「独立への道」が該当箇所です。また、下にスクロールしていくと英語版もあり「The Road to Independence」が該当箇所となっています。米国視点の米国史を概観するのに適していて、日本語版と英語版が両方あるので英語の勉強にも良いと思います。

結びに、上記リンク先の文章の一部を抜粋したいと思います。

(引用開始)

「1776年7月4日、主にジェファソンの執筆による「独立宣言」が採択された。これは、新たな国家の誕生を宣言するだけでなく、後に全世界で強力な活動力となる人間の自由の哲学を打ち出したものだった。独立宣言は、フランスおよび英国の啓蒙主義の政治哲学を基盤としていたが、特に大きな影響を与えたのは、ジョン・ロックの「統治二論」である。ロックは、英国人の伝統的権利の概念をとりあげ、それを全人類の自然権として普遍化した。おなじみの独立宣言の冒頭の1節は、統治に関するロックの社会契約論を反映している。

「我々は、以下の真実を自明なものと見なす。すなわち、すべての人間は平等に創られ、その創造主によって、生命、自由、そして幸福の追求を含む、奪うことのできない一定の権利を与えられている―。これらの権利を確保するために、人々の間に政府が設けられ、その正当な権限は被統治者の同意に由来する―。いかなる形態の政府であれ、これらの目的にとって破壊的となるときには、それを改変ないし廃止し、最も人民の安全と幸福をもたらすのにふさわしいと思われる諸原則に基盤を置き、またそのような形で権限を組織するような、新しい政府を設立することが、人民の権利である―」

ジェファソンは、ロックの諸原則を直接、植民地の状況に当てはめた。アメリカの独立のために戦うことは、「我々の政体と相容れず、われわれの法律によって認められていない法域に、我々を従わせるために他人と結託してきた」国王による政府に代わって、人民の同意に基づく政府を求めて戦うことだった。生命、自由、および幸福の追求という自然権を確保することができるのは、人民の同意に基づく政府だけだ、というのである。かくして、アメリカの独立のために戦うことは、ほかでもない、自らの自然権のために戦うことだったのである。」

(引用ここまで)

この短い部分を読むだけでも、国家の出自そして歴史というものが、その後現在に至るまでの国家の意思決定や行動に繋がっているのだろうと、私は感じました。そしてそれは国家だけでなく一個人もまたそうなのかもしれず、だからこそ、その国家やその個人の持つ原体験を紐解くことが時に重要になるのではないかと思ったりしました(少し論理の飛躍に感じられたかもしれませんが、お許しください)。

See you soon:)