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今日、留学中に避けては通れないグループワークの話をします。今学期はグループワークが2つの授業であるのですが、どちらもメンバーが良くてディスカッションも建設的で、「グループワーク良いじゃん♪」とやっと思えたので書くことにしました。
ちなみに先学期もグループワークが2つの授業であったのですが、そのうち1つはメンバーと基本的な価値観(倫理観?)がとにかく合わなくて年甲斐もなくイライラしまくり、もう1つはメンバーは良かったものの意見が合わなかったり貢献が足りず、という感じでグループワークへのフラストレーションまみれでした。
しかし今思えば、そのフラストレーションから学んだこともあったなぁ、ということで併せて書きます。実はこのあたりが、留学の醍醐味なのかもしれません。
そもそも、なんでグループワークが多いのか
グループワークがどうしてあるのかと言うと、下記に挙げる幾つかの実際的な「学び」を学生に得てもらうことが狙い、というのが本質的かつ表向きの理由だと思います。
しかし本題に入るに、もう一つの理由から最初に書きます。それは時間資源の制約という極めて現実的な理由です。例えばクラスに40人いたとして、4人ずつ10チームを組ませて課題(練習問題を解かせたり、ペーパーやプレゼンを課す)のと、40人それぞれが課題をするのとでは、教授がアドバイスをしたり採点をする効率が段違いですし、プレゼンをするにしたって40人分も聞いてたら授業時間使いすぎるし学生も教授も飽きます。
よって、完全に講義型の授業では個人ペーパーや期末試験一発勝負で成立しますが、そうではない授業では程度の差こそあれグループワークを課されることが多いです(全てというわけではなく、あくまで担当教授が組み立てる授業の構成次第です)。
グループワークにはメリット(学び)もデメリットもありますが、今書いた「時間的制約」という現実がある以上、気に入ろうが気にいるまいがグループワークは避けられないということです。なので今後、大学院で学ばれる方でグループワークに挑まれる方は、
- グループワークから学べることは貴重で、グループワークには意義がある。
- デメリットがあろうが、グループワークをゼロにすることはほぼ不可能。
この2点を踏まえて、グループワークをできるだけ楽しみつつ乗り切っていただければと思います。そうすればきっと、満足感の有無や程度とは関係なく、何か大事なものを学べているはずです。
では、本題に移ります。
学び1:多様性溢れるチームをどうManageするか
留学を考えている人は、世界を舞台に働きたい/働く可能性がある人だと思います。世界で働くとなると、言語だけでなく文化から価値観まで全く異なるバックグラウンドの人と働くことになるので、それがすごく楽しかったり刺激的だったりする反面、フラストレーションにもなるでしょう。その予行演習としてぴったりです。
全体的に能力が高い人もたまにいますが、みんな何かしらが得意だったり不得意だったりすることが多く、また各々の仕事のスタイルも物事の見方や価値観も私の想像以上に多様だったので、
- 課題のゴールと、個人のゴールを、それぞれ念頭に置く。必要に応じて最初にそれらをグループ内で共有したりディスカッションすると、効果的な場合あり。
- 自分のモヤモヤや怒りの沸点を、必要に応じて思い切って下げる。各メンバーの強みを活かそうとすると良いかと。
- 自分はどこでバリューを出すのか、その戦略と準備を心がける。
- 自分の意見がある場合は遠慮せずに共有する。
あたりが大事なのかなぁと、私自身のこれまでの反省も踏まえて思います。
学び2:個性派なメンバーの中で自分の個性を知る
先日、良いとか悪いとかではなく単純に、「自分は日本国内にいると日本人らしくないと言われる(し、自分でもそう思う)けど、国外にいると自分まじ日本人だな〜と感じる。日本にいても海外にいてもアウェー感で、つらみ」と仲良しの友達数人にボヤいたら、みんなにわりと共感してもらえました。これが類友ってやつなのでしょうか。ジェネレーションギャップもあるような気はしますが(ちなみに私は「つらみ」とかを使いこなせるようになりたい、と思っている年頃です(笑))。
グループワークしていると、「あー、自分こういうところで日本的なものに染まってたな」とか、「こういう時に自分ってイライラしちゃうんだ」とか、「こういう状況になると自分でこんな反応になるんだな」とか、均質性の高い世界にいれば見えなくても良かったものも見えてきます。
そしてこれは出身地域だけでなく、育った環境から直近の所属組織まで、あらゆるものがかなり複合的に作用します。
例えば先学期、「トルコにおける、シリア難民の子どもへの教育 〜ジェンダーの差に注目しつつ〜」というテーマで「UNICEFの視点」からグループ発表の準備をしていた時、
フレッチャーに進学する前に非営利組織で働いていたインド人メンバーが「国際機関及び先進国の政府はもっと予算を出すべき、と結論/提案に書こう」と言うので、
営利企業で働いていた日本人の私が「それはそうかもしれないけど、当たり前すぎる」「それに援助資金は他国の国民の血税なんだから、増やしてって言ったところで増える問題じゃないと思う。先進国の政府だって国内にも重要な問題はあるし、自分たちが選挙で再選できないような政策を取るインセンティブがない」
「そもそもどんな組織でも予算も人員も限られてるんだから、資源をもっとこんな風に投下すればより良い効果が期待できる、ってとこまで書かないと、何も言ってることにならないよ」と言いつつ、「例えば、テクノロジーを活用した遠隔教育(学校の予習復習とか)の普及とか、どう」と聞くと、
「その方法は賛否両論だし、本当に良いものだって裏付けがないまま書くよりも、スペースもないし書かない方が良い。テクノロジーとか以前に、【いま走っているプロジェクトに必要な予算も十分確保できていないんだから*】予算要請に絞った方が良いし、絞っても問題ないと思う」と返されてしまいました。
*国際機関や国際NGOのホームページや政策ペーパー等で、「これだけお金が足りていません!資金がもっとこんなに必要です!」と書かれていないものを見つけたことは今まで一度もありません。
テクノロジーがダメなら、代案はあるのかと彼に聞いても、代案はないし、とりあえず予算要求、と言うことで結局話は平行線で、時間がそれほど余っていなかったので、彼の意見のまま行くことになりました。
この時に自分は、今まであまり意識したことはなかったけれど、自分は民間出身の人間なんだな、と思いつつ、それにしてもなんで平行線だったんだろう、とぼんやりとした疑問を持ったまま学期末バタバタしていたら秋学期が終わりました。このまま下記に続きます。
学び3:異なる意見と正面から向き合う
冬休み中にこのやりとりを振り返った時に、何か噛み合ってなかった気がする、と思ったのですが、もう学期もグループワークも終わってしまっていたのですぐには手がかりが掴めず。そこで冬休み明けに、開発援助機関に勤めていた友人をつかまえて、この話をして、どう思うか聞いてみました。
すると、なるほど、開発援助に携わってきた友人から、彼女が担当してきた現場やそこでの各アクターの話、その際に予算要求も重要な仕事の一つとして担当していた話、などなど色々聞いていくうちに、どうして非営利組織に勤めていたインド人の彼が「とりあえず予算要求」と主張したのか、初めて理解できました。
非常にざっくりシンプルに言うと、予算要求合戦が仮に(というか、おそらく実際に)不毛だとしても、全アクターが予算要求合戦を一斉にやめるのは現実的ではない(予算自体は必要で、要求がないのを理由にドナーから資金を減らされたら困る)し、UNICEFだけ予算要求合戦に投下する労力を削減したら他の国際機関や国際NGOに予算が行ってしまうだけ、ということでした。つまり「まず予算要求」というのは「現場の子どもたちのためになる、地に足のついた現実的な主張」だったと今では思います。
一方で、地に足がついた人だけでなく、その根底にある構造上の問題について考えて対策を練って実行する人もまた、本当に社会をよりよくしていくためには必要だと思います。そういう人もいないと、いつまでもStatus-quo(現状維持)に甘んじてしまって、課題解決のために改善できる余地があるものも改善されないと思うので。
(ちなみに、シリア難民問題への対応は人道援助だと言う見方もありますが、発生から既に7年超が経過していて帰還の目処も立っていないことから、私は人道(=緊急時の支援)の文脈より、開発(=長期的な視点での課題解決)の文脈で捉えた方が適切だと個人的には思っています。)
人間って均質性の高い(ように感じる)コミュニティで生きていると、良い面ももちろんたくさんあると思いますが、マイナス面として「自分と違う意見から目を背けたり、異質だと感じるものに蓋をしがち」になると思います。多様性を尊重すべし、がモットーの私でも、「まず予算要求」の主張に最初はついイラっとして論破しようとしていましたが、異なる意見と向き合ってみたことで相手への理解が深まりました。
現状に何か問題が見えたとしても、その問題を批判したり罰したりするだけではいつまでたってもモグラ叩きだと思います。あるいは相手の言ってることが違うと思っても、相手を糾弾したり指導するだけでは本質的な解決に繋がらないことも多いと思います。
本当に状況を良くしたいなら、相手の立場や背景を理解した上で、アプローチの仕方を変えるのか、折衷案を練り上げるのか、そういう工夫が大事になってくるのではないでしょうか。
参考:グループワークの欠点を敢えて挙げるなら…
上記の学びに挙げてきたようなことは、フラストレーションが溜まる可能性があるという点に着目すれば欠点とも言えるかもしれませんが、しかし上手く乗り越えることで学びに繋がるので、「欠点」と言い切るのも良くないのかもなぁ、なんて思ったりします。
しかし少なくとも一点、純粋な欠点があります。グループワークでは、「課題を通して学ぶ」ことができますが、「問題そのものについて深く学ぶ」には原則としてグループワークは向いていません。理由は単純で、興味があるテーマや、使命感を覚えるテーマは、細部に行けば行くほどみんな違うからです。
またテクニカルですが、グループワークを課す授業が多く、授業ごとにグループメンバーがそれぞれ違うという場合、日程調整に負担感が出てきます。その辺りも踏まえつつ、私は今学期はグループワークがある授業とない授業を半々にしました。
というわけで留学中のグループワークの魅力と学びについて書いてきましたが、これは課外活動(生徒会やクラブなど)にも同じことが言えると思います。時間と体力と相談しつつ、興味を持ったものには積極的に参加してみると、きっと得るものも多いと思います。
See you soon:)