目次
- 1 見た目がアフリカじゃない。
- 2 スワヒリ語が話せない。
- 3 専門分野がない。
- 4 想いはどうか。
タンザニアでの冬休みは、本当に素晴らしい経験をさせていただいて、最高に充実した休暇になりました。ちなみに今回のアイキャッチ写真は、ダルエスサラームのオフィスからの眺めです。
同時に、自分が「このままでは誰の役にも立てない」という危機感も覚えました。もしも今この状態のままアフリカで働いても、ただの足手まといになってしまうと、そう思った理由が次の4つです。
見た目がアフリカじゃない。
私は見た目が完全に日本人です。これは、黒人が黄色人種が白人が、みたいな話では一切なく、事実として「一瞬で外国人認定される見た目」だということです。タンザニアの人たちは本当に良い人たちばかりですが、これも事実として、所得が多くない人も多数。そんな人たちの間を、アジアな私が通れば、「外国人=金を持っている=金扱い」されてしまうことがあるのもまた事実。
例えば、見た目がアフリカじゃない私の移動は、タンザニア人の同僚と一緒じゃない限りは会社で雇っているドライバーさんの車、もしくはUber(ダルエスサラームでは2019年1月時点で、タクシーが極めて危険であるものの、Uberは比較的安全ということで、Uber)になるので、バスと比べて軽く10倍以上のコストがかかるわけです。
この差額があったら従業員を追加でどれくらい雇えるだろうになぁとか、販管費のかなり足しになるだろうなぁとか、いろいろ考えてしまいます(が、見た目がアフリカじゃないのにアフリカに行く以上は、このコストは絶対にケチってはいけません。周りに迷惑がかかると交通費の差額なんかでは全然済まされないコストがかかります)。
また例えば、ダルエスサラームからかなり遠くの村に行った時、最初はバイクタクシーと往復1人28000シルで約束したのに、帰ってきて最後にゴネられて結局1人30000シル取られてしまいました。一緒に行かせてくれた同僚のルーカスはめっちゃ良いやつで、優しいけどしっかりしていて、かなり粘ってくれたのがなんだか救いでしたが(ルーカスが、会社の予算だったり、あるいは私のことだったりを大切にしてくれようとしている気持ちがすごく伝わってきました)。
1人2000シルっていうと、円換算してしまったら100円ですが、100円あればランタンを4晩借りられるし、都心でも完熟マンゴー2つ買えるし、何より100円稼ぐこと(純益で100円稼ぐには売り上げでいくら必要になるのか)の大変さを考えると、やっぱり申し訳ないと思うのです。
もちろん、その100円で揉めて安全が脅かされるとしたら馬鹿げている(=天文学的な数字の金銭的精神的迷惑がかかる)し、また100円で揉めている時間が長すぎるとその分の時給いくらよって話にもなるので、ここでは100円(2人なので200円)を追加で払うことは明らかに「正解」でした。
しかし私がそもそも同行していなかったら、約束を反故にされて100円追加で取られてルーカスがタクシードライバーと言い合いをしなきゃいけなくなることはなかったよな、と思ってしまうわけで。その分を補って遥かに余りあるくらい活躍してこそ、よそ者の段階や、友達の1人という段階を超えて、ローカルのみんなと「仲間」になれるんだろうなぁと思いました。
スワヒリ語が話せない。
2つ目はこれです。上の見た目が外国人なこととも相まって、スワヒリ語が話せないことは生活や移動の上はもちろん、仕事の面でも致命的です。WASSHAの社内では、同僚はみんな英語を話せてかつ優秀な人たちなので、英語だけでも十分意思疎通ができますが、同時期に長期でインターンをしていたKちゃんはスワヒリ語も多少習得していたので十分どころか十二分に意思疎通をして信頼関係を築いていました。
また会社の外では英語を話せる人はごく少数ですし、何より大切なのは「我々のパートナーであるエージェントの方や、未電化地域に住む低所得層の人々は、基本的に英語が話せない/得意でない」という事実です。そうすると、スワヒリ語が話せない限り、全てのコストが2倍(もしくはそれ以上)かかってしまうのです(通訳役が必要なので人件費が1人で良いところでも2人必要、通訳を介するので会話の時間が2倍、といったように)。
さらに言えば、上記、社内では英語が完全に通じるし、しかもみんな優秀と書きましたが、故に、私いらないじゃんとなるわけです。だってみんな優秀で、バイリンガルだから社内でも社外でも意思疎通や連携ができるし、しかも地元だから文化もわかってるしモチベーションも非常に高い。
こうなってくると、自分がいる意味って一体なんなんだ、と思い始めるわけです。
今回については、インターンかつ業界も地域も未経験ということで、WASSHA側としても私に対して、せっかくインターンとして雇っているのでWASSHAのためになってほしいと同時に(というかおそらくそれ以上に)、せっかく遥々タンザニアまで来ているのだから私のためになるインターンにしてほしい(成長した私が世の中に貢献してくれればOK)と思ってくれていたので、私が成長できた=自分がいる意味はあった、ということにしてくれそうなのですが。
またもちろんそれだけでなく、外から新しく来た者だからこその「フレッシュな視点」で、僭越ながらいくつか提案させていただいたりと、短期でできることは頑張らせていただきました。
専門分野がない。
しかしもし仮に、明日からインターンではなく社員として働いてみてください、となった場合、このままだと全くバリューが出せないどころか、「お荷物」になってしまう(そして戦力外になる)ことは目に見えているのです。その決定打がこの「専門性」です。肌の色が違っても、現地語が話せなくても、ローカルの人たちが持っていない重要な何かを持っていれば、つまりアイデアand/orそれを具現化する専門性や技術を持っていれば、活躍できるはずです。
しかし私には、その専門性もなかったのです。より正確には、「希少価値」のある”種類”もしくは”レベル感”の専門性が備わっていませんでした。つまり、役に立てることはあるものの、ローカルで他にもできる人や経験のある社員さんはいるので、結局「自分である意味」を問い続けることになりました。
想いはどうか。
そして最後に、しかしおそらく最も重要なこととして、「この国の人々や、この大陸の人々に、豊かになってほしいという想い」がどれほど強いかです。肌の色が違っても、現地語が今は話せなくても、専門性や経験値が今は足りなくても、「自分はここの人たちのために誠心誠意、誰よりも頑張りたい!」という熱情があれば、大逆転できるはずです。
自分が今回、すごく大きな刺激を受けて、この経験が間違いなく自分の成長につながるということは、自信を持って言えます。そして人々がWASSHAのランタンを手にして豊かに幸せになってくれたら素晴らしいと心から思います。
しかし自分が「自ら」変えたい世界が「アフリカ」なのか、はたまた「他のどこか」なのか。そこは正直なところまだ、結論に至っていません。
ただひとつ言えるのは、その気になれば私たちは、
見た目は多少なら変えられます(肌の色や骨格までは変えられませんが、髪型や風貌を変えて現地っぽくアレンジすることはできます)。言語は今から勉強することができます(英語も、英語以外の言葉も)。専門分野や経験はこれから身につければ良いことです(医師や看護師資格でも、エンジニアリングでも、MBAでも、高度なExcel技術でも、海外での武者修行経験でも、なんでも。もちろん、自分の問題意識と経験値と本気度との兼ね合いで、分野を選ぶことが大事だと思います)。
とにかく動いて、感じて、吸収して、自分が一番本気になれるフィールドで生きられるように。そして学校を出たらまた、人の役に立てるように、その対価としてお金をいただけるように。まずはここから1年半過ごして行きたいと思います。
See you soon:)