非常に興味深い記事を2つ、紹介したいと思います。それぞれ3分かからずに読めます。

1つ目は、2019年3月11日ハフポスト掲載の、宮城県女川町の老舗かまぼこ店の社長高橋正樹さんのインタビュー記事。

被災地はストーリーの素材じゃない。東日本大震災の報道に、蒲鉾本舗高政が苦言を呈す理由

2つ目は、2015年3月25日に行われた、当時の東京大学教養学部長石井洋二郎さんによる東京大学教養学部学位記伝達式の式辞。

平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞

読んでいただけましたでしょうか?上の2つの記事は、ぜひ読んでほしいです。お願いします。

そしてここから下は、私個人のオピニオンなので、読んでも読まなくてもOKです。笑

私自身、昨年の初夏に、女川を含む東北地方沿岸部の8つの町を訪れたことで、メディアの報道がカバーしていない現状を知ることができました。7年も8年も経つと、町によって状況は全く異なります。私は一度行ってみたことで、希望や活気に満ちた町や人々にたくさん出会えましたし、逆に未だに希望を見いだせていない町や人々とも出会いました。

東北の震災に関して、メディアは「今」や「未来」を報道しようとせず、「過去の一側面」ばかりを報道する傾向がある気がします。尺や制作費の制限もあるのでしょうか、制作側であるメディアも、消費者側である私たちも、どちらもそのレベルが問われているのではないかと思います。

そして従来のマスメディアだけでなく、現代はインターネットという強力な諸刃の剣の発達により、私たちはよりレベルアップしなければ情報を使いこなすことができず、それどころか他人の意図に無意識に操られてしまいます。

東大の式辞で石井さんが指摘された次の言葉はまさに言い得て妙です:

「……善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。……」

私は、石井さんが仰っているように「必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神」が大事であることにまず同意します。

しかし同時に、情報やTo Doが溢れ、時間に追われがちな現代において、全ての事柄について一次情報に当たることもまた、現実的には難しいと思うのです。

ですから、「ここぞという時にはきちんと、一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること」をしつつ、もう一つ、「自分が全て知っていると思い込まないこと、自分が相手より必ず正しいとは限らないと留保しておくこと」、が肝心なのではないでしょうか。

自分の知識や経験に自信やプライドを持ちつつも、それらを時に疑うことを忘れず、それらが覆されることを恐れず、それらよりも更に良いアプローチがあるのなら積極的に認めて活かしていく、間違えたなら素直に謝る、謝られたら水に流して前を向く、そういう柔軟さが大事だと私は思います

10年前、この世界をスマートフォンが席巻して、YouTubeやTwitterがこれほど影響力を持つことになると、どれだけの人が予想できていたか。テレビよりもNetflix、CDよりもSportify、本屋よりもAmazon、どれもたった10年で起きた変化です。みんなの常識が、あっという間に近未来の非常識になる時代。誰かに用意されたストーリーや敷かれたレールは、もはや拠り所にならなくなってきている。

みんな同じならOKという時代は終わりつつあると、私たち一人一人も、メディアも、認める時が来ているように思います。未知のものや新しい考え方に、蓋をするのではなく興味を持ち、必要に応じて積極的に取り入れる柔軟さを持つことが、私たち自身もメディアも成長させるではないかと私は思います。

みなさんはどう思いますか?

See you soon:)